「トゥモロー・ワールド」CHILDREN OF MEN 2006 英・米


    • 本作のストーリーラインは明解かつ単純で力強い、故に先の読めない展開がもたらす不安や緊張感はこの作品にはない。物語の落着先は本編が始まってすぐに判るし、実際その通りに展開していくのだが、それでも全編が異様な緊張感というか固唾を呑むような研ぎ澄まされた集中感をまとっている。それは出てきたばかりのコーヒーショップが突如として爆炸し吹き飛ぶ冒頭から、電車の外の風景が気が付くと暴徒の喧騒に取り囲まれているシーンや、中盤の狭い車内での出来事をひたすら追う「宇宙戦争」を彷彿とさせるシーン。そしてラストの市街戦。日常的から非日常へ、静寂から混沌へ、これら長回しのワンカメで捉えられ、ゆっくりと、だが確実に忍び寄るゾンビがいつしか自分を取り囲み逃げ場所を奪うように、ただただ積み上げられていく状況描写が、未来の不安を喚起させるのだ。物語ることで生まれる感情‥それを作為と呼ぶなら、本作は本来割られる筈のカットを割ることなく生と死を描写していくこと‥例えば赤子が産まれる瞬間を見せきること。邂逅から、待ち伏せ。襲撃。銃撃。死。怒り。悲しみ。混乱。狂気。追撃。反撃。逃走。これら一連の動きをワンカットで捉えることで喝破してしまう。あろうことか本作は物語を超えて状況そのものを現出せしめてしまった。恐ろしい映画だ。
    • 前述の車内シーンのみを根拠としなくても、実際この映画は「宇宙戦争」に良く似ている。全編をクライヴ・オーウェンの完全な一人称で描いている点。世界に対して個人は成すすべもなくただ翻弄されていくしかないという展開。そしてその一人称視点を止める瞬間を用意した(本作でも一人称視点を止める瞬間が一度だけ訪れる!)ことで、幻視によるハリウッド的な落着を編み出したアクロバティックな「宇宙戦争」を、更には「ミュンヘン」に至ったスピルバーグへのアンサー的な展開をみせる本作のクライマックス。新しい生命が切り開く明日へ続く道の横で、後ろで今も死が累々と築かれていく。モーゼが大海に開いた道が再び水中に没するように。ブイが放つか細い光。濃霧に包まれたそれは遠くに光る空爆の光よりも儚い。そのコントラスト。なんて映像だろう。
    • 映画はカッティングを得て物語を語り始め、そしてそれをジャッキー・チェンらのように自らの肉体でフィクショナルな枠を凌駕しようとする者たちがカッティングを否定する一方で、技術は知覚を超えるスピードによる編集技を勝ち得、対しては更なる本作である。映画技術は本当にもの凄いところへ来てしまったようだ‥。
  • 長回し雑感とゆーか‥
    • 映画における長回しといえば、先日観た柳町光男の「カミュなんて知らない」の冒頭。学生たちに長回しの話題(ウェルズやアルトマン(合掌)、スコセッシの他に相米慎二の名が上がる)をさせつつ、実際長回しを行うというようなことをやっていて、タイトルや本編ともども(狙いかどうかはともかく‥もの凄く青臭い印象で気恥ずかしかったが、個人的には呉さんの「ハードボイルド 辣手神探」の病院内における4分間の銃撃戦をワンカットで収めたシーンにトドメを刺すと思っていて‥撃たれたスタントが進行を妨げないように皆廊下の隅にピタッと転がり止まっていくのがちょいと可笑しかったが、ブランク・カートリッジの再装填や、フロアを縦横に移動しては、数十人の敵と撃ち合ってはスローもかますってな無茶っぷりだけでなく、ワンカットで切り取られた現場の緊張と混乱が味方への誤射を引き起こすという、作家のマスターベーションや陶酔、顕示や戯れに留まらずしっかりと物語に組み込まれた使い方をしていたことをとても評価しているのですが、一方のジョニー・トー(杜除・??jの「ブレイキング・ニュース」の長回しは、段取りを待って棒立ちしている警官とかが写ってしまっていて、そのどこか弛緩した時間が混じるあたりが杜除・??轤オくもあれ、あまり感心しなかったなぁ。でも「トゥモロー・ワールド」を観て一番悔しがるのは杜除・??ネんじゃないか?って気もした。偶然や偶発的な出来事。脈絡のない行動や刹那的な行動を描写することで物語の枠組みを突破しようとしたり、長回しや反覆、理屈や筋立てを無視した感情による画繋ぎ音入れを行ったり、撮影・照明スタイルの固定、作家性の意趣返しと様々な実験を行ってきた彼には求めてきた一つの究極形が見えてしまうんじゃないか‥と。
    • 前述した「辣手神探」の長回しシーンが始まる前。カメラは廊下の扉の外側から今や突入せんとする二人:周さんとトニー・レオン梁朝偉)を捉える。二人が各々の銃の薬室に初弾を送り込む。ジャカ!これこそつまりは4分間に及ぶ死闘を追った長回しへの突入の合図でもあった。だから「トゥモロー・ワールド」のラストの長回しにも必ずやそのサインが記されているに違いないと思って待っていた。あった。あおったカメラが頭上のアーチを捉えながら移動していく。これだ。これが世界が姿を現す合図なのだ。塀を抜け地獄がその姿を現した。